junyoのほんだな

2020/11に移転しました。移転先はプロフィールに。

ここは私たちのいない場所(新潮文庫)

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帯に載っているメッセージを半信半疑で確かめるように読んでみたが、ん~全く共鳴しない。救いと光に満ちた長編小説ということらしいのに残念。

巻末解説で中瀬ゆかりさんが明かしているのは、自身のパートナー喪失直後に、この著者白石一文さんから送付された「中瀬さんのためだよ」と念押し付きの小説原稿がこれであった。事実、この作品に中瀬さんは共鳴し救われたとのことで、そういうこともあるのだなあと小説の力のひとつに感心はした。

でも、大切な人の死や喪失にかかわった人、万人に向いているわけではない。なのに「共鳴しないはずがない」とまで言わせる。すごい力が働いた理由は、わたしから観て因縁作用に他ならない。

無論、わたしの感性なり死生観が普通でないと言われれば(誰がいうのさ)否定はしない。ただし、普通のっていう括りを生死の問題で使うべきじゃないというのが私の意見。

沖縄グラフ 1972年5月号(復帰記念特集第1号)

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新内閣の話題であまり沖縄担当大臣のことが取り沙汰されていない気がして沖縄の戦後史関聯本を散策していて出会った雑誌。1958年4月創刊号から今に至るまでバックナンバーを購入できるって凄いよ。

毎号、ほぼほぼ表紙は女性の写真で飾られていて清々しく、時代も感じられるのに、本土返還記念号は。。。

内容は、まず時の首相佐藤栄作さんに始まって政治家のコメントがならぶ。そんな中、心に残るというか引っ掛かったのは、沖縄復帰準備委員会日本国政府代表大使であった 高瀬侍郎さんの言葉だ。県民に向けて「日本一の県をめざして」経済・文化の発展に努力するよう期待し、そうなれば「現時点で不可能と思われることも実現しうる」と語っている。高瀬氏はすでに故人。現状をどう思われることであろう。

また、それは政府代表の言葉なのだから、現行政府もまたその意思を継ぐものと理解するが、まかり間違っても、県民の努力不足だから仕方ないなどと発言する輩のいないことを祈る。

 

新装増補版 自動車絶望工場 (講談社文庫)  鎌田慧(著)

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今朝の愛媛新聞文化欄(!?)掲載の「1強の決算」ほど忖度なしの痛快総括はないでしょう。執筆者の鎌田慧さんといえば、この本。かれこれ40年近く前になるが、当時のトヨタ自動車期間工として地獄を体験した記録で、今読んでも壮絶過酷な労働ぶりが生々しい。随所に紹介される、当時の実際の募集広告やら手書きの社内パンフなど物証も添えられてある。時を経てこの国の工場労働環境は変わったのかといえば、非正規雇用フル活用など制度や呼び名が変化しただけにちがいない。。。著者の一層の健筆と、二陣三陣後続ライターの出現をとりあえず願っておくか。政権は、当面現状路線らしいので。

 

茶話(岩波文庫 緑31-2)薄田泣菫・著

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 ダルビッシュ有似だという声に賛同。でも本書に纏められたコラムっぽいお話『茶話』が書かれたのは30代後半だから、もう少し老けているはず。実際に文章を読むともっと年嵩の印象だが、大正初期のヤングアダルトはこうだったのかもしれない。当時の欧米政治家や著名人、また江戸明治期の学者など多彩な人物の笑える逸話を次々と繰り出しているのは、情報蒐集能力としてすごいことだったにちがいない。

でも、今読むと、古臭い匂いがこびり付いてる(のは仕方ないね)。

文豪キプリング(Joseph Rudyard Kipling, 1865年1936年)は何度も登場するが名前を知っている程度だし、ロシアのバイオリニスト、ピアストロが大阪にきたことがあるといわれても知らないし、江戸時代の儒者の話題はついていけない。内容としては高貴であったり名を馳せた人でも愚かな言動をしているね、というたわいもない世間話だから、時代が変わったほどには人間の本性は変わっていないのがよく分かる。文章のセンスとしては結構、品がよくて、著名人を過度に貶めているとはいえない。凡人と一緒だよね、と収めている感じ。

古句を観る 柴田宵曲著(岩波文庫 緑106-1)&(七丈書院本)

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古句と聞いて、「コクがある」のコクと響くような印象(勘違い?)で手に取った一冊。

 

岩波文庫収録のおかげで振り仮名が付き、新字新かなとなって読みやすいのは有難いが、昭和18年の七丈書院本の表紙に配われた絵や筆文字の趣が失せるのは残念だ。左の写真は国会図書館のデジタルコレクションから拝借した。貼り付けたラベルのせいで台無しではあるが。。。

本書で鑑賞というか観察してある句は元禄期の、大方著名でない作者のものだから珍しいには違いない。文庫の帯には「滋味あふれる好著」とあって妥当と感心しつつも、個々の句そのものはどうも「地味」。著者柴田宵曲殿が次々繰り出す、有名な御仁の類句との比較は勉強になる、が後世に残る句、消える句の明暗はさもありなんと感じる。

好著といわれる要素の一つは、きっと、消え果てた古語の意味合いを慎重に推測されている探究姿勢にある。

元朝やにこめく老のたて鏡 (作者:松葉)

にこめくという言葉には「和」の字を宛てるのだろうか、と書いている。そして、新年の元朝を迎えた老人がにこやかに鏡に対しているところ、とある結びかたは句の雰囲気を尊重している。

 

紋切型社会 言葉で固まる現代を解きほぐす 武田砂鉄

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2015年に出した初の著書で既存のメディアを叩きまくったのに、逆に絶賛され何たら賞を貰ってしまった御仁はその後、定位置を与えられて鎮座しているように見える。

基本的に忖度をしない態度が好感を持たれたのだろう。わたしも、その点は大いに顕彰に値すると思う。でも、自分なりの正論をぶつけるために、冒頭、何度も嘘を並べておいて種明かしする技巧は好きになれない。教えなければ気がつくまい、と読者を愚弄している。

されど、やはりこの先の発言が気になる人物には違いない。

『批評の測鉛』(新保祐司・著)と「ショパン200年の肖像」展

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(クラッシックづいているこの頃。そは何かの巡り合わせなのであろ。)

新保さんの批評家魂は嫌いでないが、時として嗜好が排他的に作用しているのは残念。評者として、文字にあらざる対象の音楽・絵画を批評する醍醐味を熱く語っているなかで、ショパン肖像画としては友人ドラクロアのそれしか認めない態度にはがっかりする。折しも、昨年来、全国各地をショパン200年の肖像展が巡回中で、新保さんに駄作と罵られる作品がポスターの一部を飾っている。まあ、この本は1992年のものだから、そこでの話を令和の今と結びつけられては想定外かもしれん。されど、敢えて言わせてもらうなら、導き出される答は2通りある。

1.肖像画に求める価値が大衆迎合に偏向してきて、新保さんの批評が一層求められるべき時代であるということ。

2.新保さんの批評は(肖像画の世界に限るか否かは不明ながら)世の主流派たりえず埋没するであろうということ。

歴史の真実はどちらでもないかもしれんし、両方具備かもしれない。

 

補記)わたしの記述はいわゆる評論にあらず、一冊のなかの些末な一点を執拗に鑑賞した感想文なり。

 

【続】kotoba ベートーヴェン 2020 Autumn Issue No.41 #会話帳改竄事件 #プレイリスト

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 ベートーヴェン肖像画としては、懇意だったヴィリボード・ヨーゼフ・メーラーの絵が本人に最も似ているらしい。それはそれ、素人が抱く人物像はさておき、著名な現代音楽家たちが彼をどう観ているのか、それぞれ個性的な視点があって実に面白い。坂本龍一さんは(研究家・小沼純一さんとの対談で)「他に例を見ない音楽の力というか推進力」と称えつつ、楽曲によっては「ドン臭い」ところがあるなどと手厳しい評もしていて、絶対礼賛でないから却って実直な敬意を感じられる。さらにピリオド楽器(作曲当時の楽器のことをそういうらしい)で演奏している現代盤を聴いた感想として「それほど嫌いじゃない」と言って、時代による楽器の違いを考慮した演奏法の必要性を説いている。(さすがだなあ。)
ライターのかげはら史帆さんの論考では、聾者となった大作曲家の研究が今なお途次にあることを教えてくれる。その要因の一つが「会話帳」(筆談ノート)の刊行・研究なのだが、管理していた秘書による改竄発覚事件だ。つまり神格化しようと策を弄したために真実が見えにくくなった。文書に絶対の信頼を寄せられないとなると、どこが改竄で、どこがそうでないのかの見極めが難儀なのだ。あああ。それだけ偉大な人物だったことだけは確かなんだねえ。
あと附録的に愉しいのはテーマ別のCD案内。

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音楽ライター原典子さんが「一日のはじまりに」とか「部屋の掃除をしながら」「困難に立ち向かう勇気が欲しいときに」「友と語らう昼下がりに」「恋心が募るときに」など15パターンに分けてそれぞれ数点のCDを解説付きで紹介してくれている。このプレイリストはWEBでも公開していてSpotifyApple Musicで聞ける。45曲7時間30分。親切。

kotoba ベートーヴェン 2020 Autumn Issue No.41

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 本日入手。冊子をはらはらっと捲って紙間から湧き出る芳香はイイ紙の匂い。表紙絵はアップで見るとベートーヴェンのイメージが変わる。一番ポピュラーな凜凜しい面構えの絵に慣れすぎているのだ。最下段に載せておいたイラストに至っては、何だか小澤征爾さんに近似してる。

世界の楽聖生誕250年の企画特集は、読み応えがある。

肝心の内容は明日つづることに。。。。(続)

緒方洪庵の薬箱研究(著:高橋京子/大阪大学出版会)

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今日の愛媛新聞で知った「半漢半蘭」の薬箱。大阪大学には洪庵先生の薬箱が二つも所蔵されていて、その研究成果とか。292頁は大著といえないがカラー写真多数と聞いたら、ぜひ閲覧したい。

・・・が頒価27,500円。

『藁の王』(著:谷崎由依)&『金枝篇』(著:James G. Frazer/訳:吉川信)

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新感覚の迷宮小説の海にただよう気分がしばらく抜けない。不快でもないが快適でもなく、ただ浮かびたゆたう、文学という名の言海というものか。

物書きが行き詰まり苦悩し揺れる心の世界を見事に小説という手法そのもので描いている。ちまたに氾濫するハッピーエンド物語でなく、かといって残酷とか悲哀とかそんな平板な言葉でも置き換えられない。

小説家としてデビューしながら1冊だけで停滞し、大学で創作をおしえる立場になった主人公の見る景色はリアルと心象風景と妄想やら記憶の断片が重層的に描かれる。

なかでも象徴的に登場するのが『金枝篇』。よく知らないので読後に松岡正剛さんの千夜千冊で勉強したら、19世紀の驚異的な大著の学術書というものの、著者J.G.フレイザーさんの推理連想の集積物であった。「肘掛け椅子に座ったままの人類学者」と馬鹿にされたそうだが、そんな世界を基調にした本作と知ると、あらためて言葉の樹海は広大で迷いやすいと感歎するばかりなのだ。

忍びの国(新潮文庫)

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 表紙絵は安田顕さん?

ひとたびそう思ったら。。。安田さんはそう聞いて喜ぶのか、悲しむのか、そんなしやうもないことばかり考えてしまう。

それよりもここに書くべきは、この小説の痛快無比のおもしろさだ。尤もその謂いは解説を書いた児玉清さんの受け売りだけど。

少女革命ウテナ(1) (フラワーコミックス)

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 なにゆえに少女漫画を読むことになったのかといえば、松田青子というふざけた筆名作家を知ったのが始まり。どんな小説を書いているのか、まず手にした作品が『持続可能な魂の利用』。その本文に入る前に扉に掲げられた文言3行がこれ。

あの人は消えてなんかいない

あなたの世界からいなくなっただけ

--『少女革命ウテナ

 

ん~、もともと魂などという文字を含んだ標題が入り口であったのに、"うてな"登場とは。漢字で書けば「台」と素っ気ないが、蓮台(これ仏教語)を略してうてなと称するのだ。漫画の表紙絵からは、とても仏教との関聯は微塵も感じられないが、じゃあどんな意味の"ウテナ"なんだろうと興味が繋がる羽目に。。。而して、面白いじゃないか単純に物語が。もしかしてわたしは少女漫画に向いていたのかと心配になりつつも読み進めている。。。

木下利玄全歌集(岩波文庫)

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この明治生まれの歌人が遺した歌集は四冊しかない。編者によれば「宿命的とさへ見えるほどに、一首一首が執拗な推敲過程を背負ってゐる」のだ。一見凡庸に見えるのに、繰り返し読んでいるとその味わいが深まることに驚きを禁じ得ない。

わたしの一番惹かれた一首はこれ。

鮮(あた)らしきばらの剪花(きりばな)朝園(あさその)の鋏の音をきくこゝちする

 

ああ、薔薇の花を見て鋏の音が聞こえる?って感性に空気が固まる心地。

図書(岩波書店定期購読誌)2020年9月号

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 例月は何気なく見過ごしていることが多いのだが、各篇ごとにタイトルの下にあるイラストの中で「?」となって凝視せずにいられないものに遭遇。作者は高橋好文さんとなっている。

昔なつかしの電話ダイヤル(?)の前に洋梨などの果物。文章は現在と過去100年内外を行きつ戻りつしているが、内容と関係あるとも思えない。気になる。

折しも本文冒頭で筆者(山口幸夫さん)が「本に出会って、巻を措く能わずの思いをしたことがあった」と書いているのと同じ状態で固まった次第。