2018-07-01から1ヶ月間の記事一覧
歴史はつねに主流派の都合のいい歴史として記録されるさだめなのか。 尊皇の哲学者ゆえに、日本の哲学史の潮流から抹消された西晋一郎。しかし、かれの天皇への進講がポツダム宣言受諾につながったとすれば、かれについて学ぶことは思想家と政治家とのかかわ…
まさに今の時代、普遍的と思われてきた自由・人権がテロ対策などの大義の前に縮小しつつある。人間のもつ思想なんてものは、時としてあっという間に、人間を改造してしまう力を蔵していることも(オウムの脅威によって)われわれは学んだはずだが・・・。平…
(オトナ女子の)からだにいいことが(うんざりするほど)たくさん列挙されている。これすべてやったら、からだにいいかもしれないが、そんなことに神経と労力をすりへらすのは・・・
大正時代に、現代に通じる思想やくらし、大衆文化の起点を探る意欲的佳作。 ほんの一例をあげると、金沢・兼六園が兼六公園となり再度兼六園となっていく過程には、政府行政の意図だけでないいくつかの要因が絡んでいる。現在各地の、城郭復元工事もその流れ…
105歳にして現役の、墨の表現者。墨は絵の具とは異質な具。墨の色をあらわす玄に深みがあるように、齢を重ねて人生観も深みを増す、そんな生き様に教えられることは多い。 宗教観の大きな差異を超えて訴える感性には脱帽。
高等そうな詩論を展開して、自らも作詩する難解なヒトと詩。なんとも愉しくないし、わけのわからない詩なのに、重く、ずっしり響く何かがあるので、つい読んでしまう。そんな詩。
古本屋で出逢った。抽象画なのに、どこか自然でなつかしく感じる絵とやわらかなことばのみじかい詩がこころをおだやかにする。 蕺(どくだみ)の群 まだよ まだよ 待って この雨やんで パーッと晴れたらネ さあ いっしょに 咲くのよ
内容(「BOOK」データベースより) 両大戦にはさまれた苦難の時代を断固たる勇気をもって生きぬき、ベルリン・フィルやヴィーン・フィルなどを指揮した数々の名演奏によって今や神話的存在にまでなったフルトヴェングラー。本書は、この20世紀前半最大の指揮…
箙田鶴子という身障者が自身の生々しい苦渋の半生を描きつつ、最後に「底の方にわずかに愉悦」といわしめた後年の境地。・・・と清水眞砂子女史の本で紹介されてある。 この本がどこにも見つからない。それゆえ、一層読みたい。
今夏、わたしは清水眞砂子女史のことばの海にはまって、涼んでいます。造本にもこころ洗われる気持ち。装幀カバーの作品は工芸家 Henrry Karlssonの作で、カーサとかいう北欧・北極圏でくらす人の日用品。
少年時代にこんな本に出逢える、いまの子はしあわせ?
研究者である山口真美さんに、この手の本を書かせてしまった編集者・忍穂井純二さんに敬意を表する。 ところで、忍穂井さんの苗字をすっと読める人ってどれほどあるんだろう。
清水眞砂子女史のあまりの率直な発露に、どきり。 「私は人殺しなんか絶対しないと言う人を私は信用しない。」 突き刺さりました。 何のために本を読むのか、その答の一つがこの本にある。
"詩嚢"ということば。味わい深い。わたしは詩嚢とともに、信嚢をふくらませたい。 詩を読む者がいつも感動を得られるとはかぎらない。これ、名言だなあ。 だから、きらめきを求めるのだろう。
環境問題について、化石燃料企業から投資を撤退するダイベストメント運動が急速に広がっているが、それを牽引している一人がこの著者なのだ。ただの物書きじゃない。
ナオミ・クラインの著作を図書館で見つけた。訳者2人は最新刊(予約本)『NOでは足りない』の訳者と同じ。これを読んで、邦訳を買うか、原書で読むか、考えてみるという計画。
世界的に有名なジャーナリスト、ナオミ・クラインの邦訳最新刊(予約受付中)が待ちきれずに原書で読もうかと思案中。希代のトランプ陰謀論(とまではいってないかも)に対抗して、選挙でノーを突きつけよう、それ(ノー)でも足りないよ、って言う提言本ら…