junyoのほんだな

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短歌研究 2010年1月号

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たまたま10年前の雑誌で岡井隆さんと松浦寿輝さんの対談記事発見。 冒頭松浦さんが『注解する者』(岡井詩集)をもちだして「遊戯精神にはつねづね感嘆しています」といい、「表紙に詩集と書いてあるから詩なのかなあ」と、わたしと同じ感想で本当に救われた。それにつけても、もう岡井さんの声って過去にしかないんだなあとしみじみ思う。

(10年も経つと何も覚えていなくて、新鮮に読む。)

以下覚えとして記す。

・(言文一致の対談のなかで俵万智の『サラダ記念日』に触れて)

岡井 俵万智が始まりとよく言われるけど、俵万智はある運動の終末体でね。あの人は完成体なんですね。

・松浦 ……「プロの歌人」というような言葉をお使いになりますね。これにはちょっとたじろぎました。……「プロの詩人」という概念はあり得ないわけですよ。

・岡井 批評が衰えている。松浦さん、僕はいつも言うんだけど、悪口が衰えましたね。悪口言うと叱られるんですよ、嫌われるし。

・岡井 現代詩の人にも僕、いつも言うんだけれど、明治以来の新体詩から始まって、つまらないものがたくさんあるかもしれないけれど、平出隆さんが伊良子清白を発掘したように、実は宝物ざくざくではないかと、それを掘り起こさなければだめじゃないですかと。