junyoのほんだな

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戦後60年〈詩と批評〉総展望 保存版(2005年発行)

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古書である。しかし、今読んでもあたらし(可惜し)。詩人でも評論家でもない身して、なにゆえこんなに分厚くて値の張る本を買ったのか我ながら不思議だが、もっぱら積ん読で、列なる志士の名を眺め、ときおり想い出したように拾い読みしてるだけで豊かな気分に。

巻末にある「現代詩戦後60年年表1945・8~2004」は編者深澤忠孝さんの労作。

各年ごとに、(1)詩集、(2)詩論・エッセイ・雑誌特集ほか、(3)詩的事項・詩人生没、(4)詩誌ほかが列記してある。試みに「詩的事項」のなかから「特記的事項」と分類されてる事柄を拾ってみる。

1945年 ○「八月十五日 (略)十二時、時報君が代奏楽。/詔書の御朗読。/やはり戦争終結であった。/君が代奏楽。つづいて内閣告諭。経過の発表。--遂に敗けたのだ。戦いに破れたのだ。」(『高見順日記』)

    ○「この詩誌は紙数の貧しさにも拘らず、詩に於て内容に於て、北九州唯一、或は日本唯一の若い詩人の詩の祭典であると自負していいと考へる。」(岡田芳彦「《鵬》創刊号後記」)

1946年 ○この年、年末から翌年にかけて「第二芸術論」の論議盛ん。

1948年 ○「詩誌は、終戦以来、堰を切ったやうに氾濫し、極く小さなものまで数に入れるとすれば、おそらく一千を超えるであらう。」(安藤一郎「戦後詩壇の展望」『詩風土』)

1949年 ○マチネ・ポエティクをめぐる論議盛ん。
    ○小野十三郎の「詩論」をめぐる論議続く。
    ○三好豊一郎の『囚人』が戦後詩の原点と評価高く、詩集が刊行された。
1950年 ○「(二つの詩人団体が結成され、現代詩人会は)昭和初期以後の四十代から五十代に及ぶ代表的詩人四十名の会員を擁し、(日本詩人クラブは)強いて言えば保守的傾向の強い詩人を包含し、(略)サロン的な活動を始めている。」(百田宗治「詩壇一九五〇年」)
1951年 ○この年、内外の抵抗詩の活動、紹介盛ん。
    ○『荒地詩集』刊行を機に荒地派の活動極立つ。年次詩集は一九五八年版まで刊行。
1952年 ○この年、職場の文学、勤労詩等盛ん。
    ○この年、国民文学論起こる。
1953年 「五三年の詩壇を通して気づくことの一つは、詩の普及化が絶えずすすめられたことである。(詩誌は「五百種」以上と推定)」(伊藤信吉「詩壇の動向」)
1954年 ○この年、「文藝春秋」、「新潮」といった他分野の雑誌、また国文学研究誌等が現代詩に照明をあてた。
    ○この年、狼論争、死の灰論争、詩人の戦争責任論などの論争盛ん。
1955年 ○この年、詩人の戦争責任論等が尖鋭化し、論争盛ん。
    ○諸雑誌、詩誌が「戦後十年特集」を多く組む。
以下、略。

この調子で2004年まで、40頁超つづく。(凄)
(よく分からないが、現代詩を語ったり作ったりする人には不可欠な詩史なんだろうな、という感想のみ。)